2016年09月一覧

障害者に価値がないなんて当たり前すぎてあくびが出る。

相模原障害者施設殺傷事件から二ヶ月以上経ちましたが、もう話題に上ることはあまりなくなりましたね。色々な意味で衝撃的な事件でしたが、僕がこの事件で一番考えさせられたのは「人間の価値」です。 「価値の高い人間が生き残るべき」という価値観は、資本主義が進んでいる最近では、割と抵抗なく受け入れられる人が多いと思います。

東京建物のCMが最高に気持ち悪いので必見です。

昨日の晩御飯中ある会社のテレビCMが流れたんですけど、いやー凄かったですよ。 「え、このCM作った関係者は全員チョコでも食ってるの!?」とか本気で思いましたね。 女優の早川あかりさん演じる新入社員がマジトーンで「誰よりも努力する」なんて新人の心得を語りながら、誰もいないオフィスで仕事してる風情なんですよ。

仕事を楽しめないなら子供は作るな。

戦後、日本には二回ベビーブームが訪れました。 当たり前ですが、子供は単なる流行で誕生させていい存在ではありません。 誰もが熟慮に熟慮を重ねるべきである、とまでは言いませんが、 子供を何故産むのかという問いに対して、夫婦が納得できる答えを述べられるまでは、 「産めばなんとかなるだろう」という安易な判断はしてはならないと僕は考えます。

人生を貸し付ける「親」という名の高利貸し。

僕は円満な「家族関係」を築けてきたわけではないので、それに関わる話を聞くと、いまだに心がびりびりします。 反抗期や倦怠期と言った単語に象徴されるように、どの家庭にも衝突はあるでしょうが、その中でも致命的な亀裂になるものの一つが親が子に放つ「幸せにしてくれ光線」です。

あの苦しみを、あの痛みを「思活かす」。

大抵の人には、何年経っても忘れられない辛い出来事というものがあるかと思います。 人に愚痴るどころか、それを思い出すだけで胃がむかむかするレベルの人もいるでしょう。 僕は一つの職場に長く勤めたことがあまりないので、職場の同僚と飲み会をしたりすることは数えるくらいしかありませんでしたが、

人間の使い捨てがいともたやすく行われるようになる。

ブラック企業という言葉が世に出てから随分経った気がしますが、それを取り巻く状況について、あまりよくなっている印象はありません。 過労死に関するニュースもいまだにちょくちょく聞きますしね。 んで、どうしてあってはならないそういうことが起きてしまうのか考えてみた所、 「人を使い捨てないと立ち行かないからそうしている」

「許さないと自分が辛いだけ」なんて言葉には耳を貸さない。

映画「聲の形」に関して色々な意見が交わされているようですが、創作物に関する評価は人によって違っていいと思います。 が、「加害者」と「被害者」の関係性についてはやはり気を付けておきたいことがあります。 まず、加害者が自分のやったことを自省することは基本的にありません。

人間は「情」で動く。「利」でも動ける。でも「理」では動かない。

僕は感情を失った人間はロボットや動物にその存在自体が劣ると思っています。 人間はロボットのように疲れを知らず、文句も言わず、ハイペースで働き続けられません。 かといって、動物のように自らの肉体を武器に、野生で生き延びるには脆弱すぎます。 人間の高い知性とそれを活かす執念、そういったものを生み出すのが「情」です。

原因と責任は全て自分にある…わけないだろ!

「強い人」と聞いてどんな人をイメージするかは人それぞれですが、ちょっと前まで僕は、 「何事も真剣に取り組み、辛いことや苦しいことがあっても自分の力で乗り越え、他人に甘えたりせず、自分の面倒を常に自分で見れる人」 みたいに考えていました。 これはこれでいいのでしょうが、最近少しひっかかりを覚えるようになったのです。

「叩いて伸ばす」とかいう都市伝説。

子供の頃、自分が138cmとか148cmの時に背を測る時、ちょっと背伸びとかしませんでしたか? あるいはアスレチックで遊んでいたときに、あと少しで届きそうなロープや足場に手足を伸ばしたりしませんでしたか? その時、手とか足はピーンと張ってますよね? この体勢を後10分続けろって言われたらキツイですよね?