生きているのが間違いだ。だから正しさなんて蹴っ飛ばせ。
「他人に干渉をするならそのこと自体がリスクである」 「リスクを背負えないなら枠をはみ出してはいけない」 でも、そういう生き方を突き詰めていくと、何だって一人で決めなくてはいけませんから、「誰かと一緒に生きること」は絶対にできなくなってしまうんです。ずーっと。 清く、正しく、笑顔で、間違えましょう!
そうだ、ヒモになろう。
「他人に干渉をするならそのこと自体がリスクである」 「リスクを背負えないなら枠をはみ出してはいけない」 でも、そういう生き方を突き詰めていくと、何だって一人で決めなくてはいけませんから、「誰かと一緒に生きること」は絶対にできなくなってしまうんです。ずーっと。 清く、正しく、笑顔で、間違えましょう!
僕は人間の意思決定には「感情と理性と本能」が関わっていて、その三者が会議して最終的な結論を導き出すものだと考えています。 で、基本的にこの三者は対立しないんですよ。本質的には。 本来、会議の場において、参加者同士の「意見」が対立することはあっても、目的が一つに絞られているなら、そこに「人格」の対立は生じないはずです。
人間と一緒に生活すると実感することは、嫌いなモノに対する態度は人によって結構違うということです。 自分を殺して過去をなかったことにはできないんですよ。 子供の頃から周囲と上手くやれない人は、どれだけ成長してもそのこと自体が得意になることはなく、「上手くやらずに生きられる方法」を身に付けるか、自分を殺すしかないんですよ。
体調不良は「休息を取らないとヤバイ」という体のサインなのですよ。 「他人に迷惑を掛けずに生きられる程の能力なんか持ってない」んですって。 ただ、そう思うなら食事と睡眠はちゃんと取って、自分の健康を守るために行動しましょう。 それはあなたのカラダからあなたのアタマに課せられた義務なんですから。
今世の中は何かと無駄遣いは控えるという流れがあります。全くしないというのも無理があるとは思いますけど、節約術やライフハックを駆使して「消費をしない」ことに力を入れている人は結構いますよね。
心身に負担をかけながら目標達成することを「美徳」と捉えている節があるからです。 自分の力を惜しみながら働くべきです。 極端な話、自分のテリトリーに戻った時に疲労感があるならそれだけで危険信号です。 「死ぬまで生きる」なんてとてもじゃないけどやってらんなくなりますよ。
武士道と云うは死ぬ事と見付けたり 何故なら、僕は超超超超「自分大好き人間」だからです。好きな言葉は「天上天下唯我独尊」ってエントリーシートに書いちゃうくらいの。 見出しの言葉は江戸時代、山本常朝という人が自分の著書に記したもので、割と有名です。 だって生まれた以上いつかは死ぬんだから。
僕は30過ぎながら実家で生活しているので、「お前が言うな」状態ではあるんですが、基本的に自分の両親に対して「住まわせてくれてありがとう」みたいな気持ちはありません。 何でかっていうと、親は子供を幸せにする義務があると考えているからです。