誰にでも間違いはある・・・から許してネ!
僕は「そんなつもりじゃなかった」「悪気はなかった」っていうコメントはこの世から死滅するべきだと考えています。ついでに言うならそんなコメントがまかり通る社会とかふざけんなって感じです。
何はともあれ相手を傷つけたってことは誰にも否定できません。自分は誰かを傷つけたりなんかしていない、というのは大いなる傲慢です。生きている以上自分の言動や行動で傷付く人は絶対にいます。気付かれないだけでね。
もっとも傷付く人がいるのと同じだけ、救われるひともいるのかもしれません。そもそも間違えない人間なんて居ません。誰にだって間違いはある。
が、それを許すのが大人だ人間だ、みたいに押し付けられるのはどーにも解せません。
いいじゃん! 許さなくても!
許したいやつは勝手に許しゃいい! それが人間らしいと誇るのも構わない!
でも傷つけられたことを絶対に許さないのも人間だってことをどーして認められないのか!
嫌よ嫌よは・・・ぜってー嫌ってことだ!
現代日本・・・ていうと風呂敷広げすぎですけど、少なくとも僕が育った環境では、自分が傷付いたこと、それを主張することはNG扱いされてました。
確かに周囲に不満をぶつけまくるというのは必ずしもオススメできないリスキーな振る舞いではあるかもなんですけど、だからといって「誰かからこう言われたから我慢しよう」なんて割り切れるほど自分の感情って安くないと思うんですよね。
自分の中にあるキツさや澱みを誰かに言えないって、泣いたり怒ったりすること自体を禁止されているわけじゃないですか。でも溜め込めば溜め込むほど自分の感情は「やりたいこと」としてそれをずぅーっと訴えてきますよ。
あなたの周りにも怒りや悲しみを隠しきれない人の一人や二人いるはずです。それくらい感情の持つエネルギーってのはすごいんです。
そんなエネルギーを抑えつけようったって無理に決まってるじゃないですか。感情を制御できるのが大人って言う人は、サイボーグにでも進化するつもりなの?
ネガティブな自分とお付き合いしてみる
他人のしたことにいちいち腹を立てない、寛容さを常に忘れない、っていうのは確かに立派な心構えですが、「他人のしたことにいちいち腹を立て、寛容さなどどこかに置き去りにした時期」が多かれ少なかれ存在したからこそ身に付いた経験則でもあるはずなんですよ。
大上段から「怒鳴ったり喚いたりしては駄目、常に冷静に振舞いなさい」なんて言われて育った人は、子供のうちは褒められるかもしれないけど、自分のキャパシティを超える出来事があれば、抑圧されたマイナス感情が大爆発を起こしてとんでもない行動につながってしまいます。取り返しがつくかは運任せと言っていいレベル。それはどう考えてもマズイでしょ。
だから敵意や憎しみ、悲哀や嫉妬といった「溜め込むと何をやらかすかわからない爆弾めいた感情」に悩まされているなら、まずはそのネガティブな自分と付き合ってやらないと次のステージには行けないし、多分行かないほうがいいです。
いいんですよ、怒って。嫌って。憎んで。悲しんで。
そういうネガティブさを置き去りにした生き方なんて映画のゾンビと大して変わりません。良い自分になるのも、悪い自分になるのも、やってみないことには始まらないのですから。