安納和彦一覧

心の悩みを抱えた人がやってはいけないこと。

例えば 「なんで自分の頼みを聞いてくれないの!」 とか、 「なんで自分の思い通りにならないんだ!」 みたいな憤りを普段から抱えてる人って、 「他人や社会は自分の期待に応えるべき」 っていうちょっと図々しい信念があるわけです。 悩みをなくすというのは自分をなくすのと同じです。

一対一にこだわらない。

「自分はこういう人間だ」と決めて、「一つ」にするなんてそもそも無理だと思うんですよ。 大事なことは「自分の中の十人」と「他人の中の十人」の「合わない」部分を意識すること。 やっぱりこの人とは合わなかった、というケースほど自分を消耗させることはないのです。 その誰かとの関係を保てなかったのはまさに「縁がなかった」んです。

他人と違うレートを持つ。

「自分にとって必要だから価値がある」か「他人にとって必要だから価値がある」か。 名画や名著、高級菓子や年代物のワインなどの面々は「人に価値を与えられた」のであって、 実用品のように「必要があったから価値がついた」わけではないのです。 心の贅肉を削ぎ落とせます。次の日ちょっと身軽になったように感じますよ!

「会社は遊びじゃない」なら「社員は仲間じゃない」。

「自分の大切なあの人は勤め人として模範的な行動を取り、その結果不幸な事故に遭ったとしても、そうした行動自体を誇らしく感じます」 仲間意識を社員に求める会社は、実質的には「会社」ではなく「共同体」です。 その会社は、あなたを「社員として」大事にしてくれてますか?  あなたに「戦友」であることを押し付けてはいませんか?

生きているのが間違いだ。だから正しさなんて蹴っ飛ばせ。

「他人に干渉をするならそのこと自体がリスクである」 「リスクを背負えないなら枠をはみ出してはいけない」 でも、そういう生き方を突き詰めていくと、何だって一人で決めなくてはいけませんから、「誰かと一緒に生きること」は絶対にできなくなってしまうんです。ずーっと。 清く、正しく、笑顔で、間違えましょう!

理性は感情の友人。

僕は人間の意思決定には「感情と理性と本能」が関わっていて、その三者が会議して最終的な結論を導き出すものだと考えています。 で、基本的にこの三者は対立しないんですよ。本質的には。 本来、会議の場において、参加者同士の「意見」が対立することはあっても、目的が一つに絞られているなら、そこに「人格」の対立は生じないはずです。

「兄弟仲良く」とか前世紀家族ドラマにいつまでこだわってるの?

人間と一緒に生活すると実感することは、嫌いなモノに対する態度は人によって結構違うということです。 自分を殺して過去をなかったことにはできないんですよ。 子供の頃から周囲と上手くやれない人は、どれだけ成長してもそのこと自体が得意になることはなく、「上手くやらずに生きられる方法」を身に付けるか、自分を殺すしかないんですよ。

風邪引いて寝込めない人は永眠した方が身のため。

体調不良は「休息を取らないとヤバイ」という体のサインなのですよ。 「他人に迷惑を掛けずに生きられる程の能力なんか持ってない」んですって。 ただ、そう思うなら食事と睡眠はちゃんと取って、自分の健康を守るために行動しましょう。 それはあなたのカラダからあなたのアタマに課せられた義務なんですから。

10割の力で働いている人、さっさとそれ辞めなさい。

心身に負担をかけながら目標達成することを「美徳」と捉えている節があるからです。 自分の力を惜しみながら働くべきです。 極端な話、自分のテリトリーに戻った時に疲労感があるならそれだけで危険信号です。 「死ぬまで生きる」なんてとてもじゃないけどやってらんなくなりますよ。