強い人しか生き残れない世界
「強い人」と聞いてどんな人をイメージするかは人それぞれですが、ちょっと前まで僕は、
「何事も真剣に取り組み、辛いことや苦しいことがあっても自分の力で乗り越え、他人に甘えたりせず、自分の面倒を常に自分で見れる人」
みたいに考えていました。
これはこれでいいのでしょうが、最近少しひっかかりを覚えるようになったのです。
というのも強い人の定義がこれなのだとしたら、
「何事も手抜きしながら、辛いことや苦しいことからは逃げ、他人に頼りっきりで、自分の面倒も見れない人」
が弱い人になるわけです。
これ全部を余すことなく満たしている人がいたら、まあ手の施しようがないかもしれません。
ただ一つ一つの要素、あるいは人生のある時期だけを見れば、こういう状態にある人は少なくないはずです。
恋人にフラれ、仕事を首になり、友人に裏切られ、財産を失う。
そんな目に合って、傷つき、落ち込み、とても「強い人」ではいられなくなる。
そんなことが全くないと言えるでしょうか。誰もがそこから立ち直れるものでしょうか。
「そんなことでは大人として、一人の人間としてこれからの時代を生きてはいけないぞ」
という考えもあるでしょう。
でも、その価値観が極まってしまった時に自分はどうなってしまうのか、というあたりに僕は恐怖を感じずにはいられないのです。
誰も次を見なくなる
自立した一人の人間になろうと、周囲に頼らず、上手く行かないことは自己責任と捉え、何度でも困難に立ち向かう姿は、ある意味完成した人間と言えるのでしょう。
しかし、何年何十年と生きていれば、自分の力だけでは解決できない問題、他者から悪意を持った妨害を受けること、自分にとって大きすぎる壁に絶望と諦観を覚えてしまうことは決して珍しくありません。
ただがむしゃらに頑張っても心身が消耗するだけで結果は一向についてこない。
そんな生活を続けて自分を磨り減らしていく人達は、やがて「今」しか見えなくなります。
他に選択肢があるように見えても、「今日を生きるので精一杯」になってしまうのです。
そんなギリギリの状況でも変わらず生きていける「強い人」ばかりがいる世界。
その先にあるのは「滅び」だと僕は思います。
何故なら彼らは強すぎて「変われない」し、「託せない」からです。
短期間で大きな発展を遂げた会社やお店が、その立役者を失った途端消え去るように。
快進撃を続ける軍やチームが、指導者を欠いたその瞬間から負け続けるように。
特殊すぎて、優秀すぎて、誰も真似出来ないから、その「強さ」が受け継がれないのです。
他人の責任じゃないけど自分が原因なわけでもない
国が悪い、国民が悪い、社会が悪い、個人が悪い。
上司が悪い、部下が悪い、男が悪い、女が悪い。
考えても仕方のないことにいつまでもこだわっているのは、確かに時間の無駄使いです。
しかし、いつも「自分が悪い」と決め付けるのは「自分の無駄使い」だと僕は思います。
時に他人に原因を求めることが救いになり、前進する力になることがあります。
自分が背負わなくていいと思った荷物はどんどん他人に投げましょう。
それが「弱さ」であり、時には「甘え」だとなじられることも大いにあり得ます。
しかし、弱さを受け付けられない世界は弱い人間が生き残れず、人はどんどんとその数を減らしていきます。それは本質的には「貧しい」のです。そんな世界を望むのは破滅願望を持っているのと大して変わりません。
弱さを抱えながらも生き続けて、「豊か」な世界を目指すのが僕らのやるべきことなのです。