不干渉ではいられない人達
僕は家族構成で言えば三男なのですが、長男とは折り合いが極めて悪いです。
おはようもおやすみもないし、お互いへの敬意なんてもっての外、いつ血で血を洗う抗争に発展するかわかったもんじゃありません。
んで、そういう人間と一緒に生活すると実感することは、嫌いなモノに対する態度は人によって結構違うということです。
これ自体は当たり前のことだと思うんですけど、僕は日本人を「考え方が似やすい」民族だと考えているんですよ、色んな職場を回った僕としてはそういう感覚が極めて強いです。
常識や道徳観念というものが根底レベルでは共通していると言いますか、「闇雲に暴力は振るわない」とか「やると決めたからには途中で投げ出さない」みたいな部分はかなり徹底されているんですよ。まあ法律とか生活とか自分を縛るものもあるから一概には言えませんが。
で、僕は嫌いな人間には徹底して不干渉を決め込むタイプなんですが、長男はそうではなく、「嫌いな人間をあの手この手で嫌いじゃない人間に変えよう」としてくるタイプなんです。
言い換えれば、表面上はどうあれ、彼は心の底では「人間は変わることができる」という価値観を持っているということでもあります。ここが僕としてはかなり反りが合わない部分です。
「三つ子の魂百まで」はほんと至言
僕は人間が変えられるのは行動や習慣であって、思考や価値観が変化するのはせいぜい物心がつくまでだと考えています。「毎日ジョギングする」とか「揚げ物は控える」とかそういうのは出来ても、「ジョギングを好きになる」とか「揚げ物を嫌いになる」とかは無理でしょ?
そんな簡単に自分の心をコントロールできるんなら、うつ病の人が急増したり、メンタルヘルスが注目されたりしません。
人生経験を重ねることで自分が変化したように思えるのは、実際に何かが変わったわけじゃなく、自分の尖がった部分やどうにも出来ないこだわりを覆い隠せるように、あるいは棘が周囲に刺さらないように関わる範囲を限定しているだけです。
子供の頃から周囲と上手くやれない人は、どれだけ成長してもそのこと自体が得意になることはなく、「上手くやらずに生きられる方法」を身に付けるか、自分を殺すしかないんですよ。
で、自分を殺す人が多いから心が病んでしまって、うつ病だの虐待だの過労死だの通り魔だの、色々な問題が起こりやすい構造になってしまっている。厄介極まりないですホント。
今の自分は過去の積み重ねで出来ています。一つ一つは点に過ぎず、座標も方向もめちゃめちゃでも、つなげていけば自分の人生は必ず一つの線になります。
だから自分自身の人生を形作り、それを実感したいなら、
自分を殺して過去をなかったことにはできないんですよ。構造的にね。
争いの行き着く先を見る
僕は長男と和解することはないですし、するつもりもありません。僕の中では「自分の世界には不要である」という死刑判決が出ていますからね。それはあちらも大して変わりません。
それでもなお干渉しようとすれば、もう闘争で決着を付けるしかなくなってしまうんですよ。自分一人分の幅しかない道に他人が無理やり入り込もうとしているようなもんですから。
自分の行動が他人との関係を致命的に壊すこと、そして壊したことに気付かず以前の関係性を続けられると思い込んでいる人が自分の近くにいるというのはかなりキツイです。
もし自分がそういう状況にいると思えたなら、やはり環境を変えなければなりません。
冗談でも何でもなく、自分の精神、下手すれば肉体の生き死にが関わっているので早めに行動しましょう。待っていても状況は悪化するばかりですよ。