自然に出来た不自然な状況
ブラック企業という言葉が世に出てから随分経った気がしますが、それを取り巻く状況について、あまりよくなっている印象はありません。
過労死に関するニュースもいまだにちょくちょく聞きますしね。
んで、どうしてあってはならないそういうことが起きてしまうのか考えてみた所、
「人を使い捨てないと立ち行かないからそうしている」んじゃないかと最近気付きました。
今大体の企業は「効率化」を目指しているものだと感じています。
僕の働いてきた職場でも、設備が一新されるシーンは何度かありました。
ただ、機械化・オートメーションには当然時間もお金もがかかり、元を取るにはそれなりの時間を必要とするでしょう。
企業のみならず、今世の中にある組織はその全てが10年20年を見据えて自分達の行動をを決めているわけではありません。
効率化を推し進められるのは、それにかかる費用を単なる「コスト」ではなく、これからの10年20年を生き残るための「投資」であるという前提で戦略を立てている場合だけです。
それが出来ない組織はどうするか。その答えが「人間」です。
そこに人間の悪意も害意もない
世の中が効率化されればされるほど、言い換えれば「人間に出来ること」が少なくなればなるほど、人間そのものは必要とされなくなっていきます。
人間が生きるためには食べなければなりません。食べるためには、お金に限る必要はありませんが、稼がなければなりません。
もし組織に所属することで今日生きるための糧を稼ごうとするのであれば、
「機械にはできないこと」が出来るか、「機械より安上がり」でなければ組織に必要とされることはないのです。
勿論「人に投資する」という選択肢もあるはずです、本来は。
ですが、多くの組織がそれを選択することはないでしょう。
日本だけではなく、世界全体で見れば人口は徐々に増加していますが、その結果、労働力として必要とされる「ただの人」の信用や価値は下がるのは必然だからです。
機械に取って代わられる人の多くは、そういう社会全体の大きな流れに否応なく巻き込まれてしまうのです。
おおぞらをとぶ
世の中の流れを「川」に例えるなら、ただあるがままでは下流に流され、その先にある滝壺に落ちれば大怪我をしてしまうでしょう。
川に逆らって泳げるのはオリンピックのメダリストくらいで、仮にアスリートと同レベルの能力があったとしても泳ぎ続けるのは至難の業です。
現代に生きる人は、上流にぐいぐい進める魚のごとく、あるいは悠々と空を行く鳥のように、生物の種類そのものの変化を要求されるような時代の渦中にあると言ってもいいでしょう。