いつかその気持ちに決着がつく日が来る。

昔のことを思い出して眠れない

前回の記事にちらっと書いたのですが、僕は新卒で入った会社を半年で辞めました。

今でこそそれがどうということない当たり前の判断に過ぎなかったと思えますが、当時は随分悩みました。少なくとも上司の前で泣いてしまったぐらいには。

その会社を辞めた後に、しばらく公務員試験を隠れ蓑にニート生活を送っていたのですが、

一応4月頃と9月頃にはプチ就職活動をしたりもしていました。

といっても、面接を受けに行くというよりたまには遠出するかー、ぐらいの気持ちでしたが。

ただ、そうは言ってもリーマンショックの真っ只中でしだから、不採用通知が来るたびに後悔の念が湧くのは否定できません。

「あの会社でもう少し踏ん張っていればフツーのサラリーマン生活を送れたのだろうか」

「就職活動をもっと真剣にやればあんな会社ではなくまともな会社に行けたのでないか」

そんな思いが渦を巻いて僕を襲ってきた夜はあまり眠れませんでした。

そんな僕でも、三十路間近の29歳のある夜に、ようやく腑に落ちたのです。

社会は自分を必要としていない

僕は就職活動をしている間、自分がロボットだったらもっと上手く社会に馴染めるのになーと考えていました。

お腹も空かない、眠くなることもない、風邪を引いたりしない、緊張したりしない。

お金もかからないから、安い給料でも問題ない。それならどこか雇ってくれるだろう、と。

そうしていつか立派な社会人として、世の中に溶け込めるのではないか、と。

まあ機械は機械でメンテナンスしなきゃいけないわけで、かかるコストが跳ね上がる場合もあるのですが。

ともあれ「ロボットになれば就職できる」と考えてるなら、それはつまり「ありのままの自分では必要とされないだろう」という事実を僕自身は理解していたわけで、

僕はあの夜のふとした瞬間、ようやくその事実を受け入れられたんです。

「明日は何をしよう」と思いながら眠ろう

その日以来、少なくとも仕事に関わる過去の判断に悩まされることはなくなりました。

自分が社会に必要とされ、社会に溶け込むことが出来ないなら、「社会」の外側になんとか巻き付き、ぶら下がっている「ヒモ」になろう。

そしてそうやってしがみ付くことすら許されなくなったとしたら、それが自分の人生なんだ、と自然に受け入れられる気がしたからです。

自分にとっての忌まわしい過去が、ある日何てことのない出来事に変わる瞬間が必ず来ます。

その瞬間が訪れるまで、眠れぬ夜には明日の楽しみに思いを馳せる様にしましょう。

スポンサーリンク