不安は期待の裏返し
僕はこれまで色んな職場を転々としてきましたが、新しい職場に入るときはそりゃもう緊張してたんですよね。「教えて貰った通りに上手くやれるか」とか「下手打って同僚に冷たい目で見られないか」みたいなことを延々と寝床で考えてしまうくらいには。
でもそれってある意味自分を評価してるというか、不安や緊張って「失敗する可能性」と「成功する可能性」が同時に存在してる時しか感じないはずなんですよね。
だって、僕が「明日ウサイン・ボルトと100m走で勝負する」って時に緊張するわけないと思うんですよ。いや「ボルト選手と実際に会える! 会ってしまう!」みたいな緊張感はあるかもですけど、実際に100m走で勝つ確率は0%ですよね、どー考えても。
勝たなきゃ殺されるとかいう状況ならともかく、オリンピック選手候補でもあるまいし、勝つか負けるかなんて考えるまでもなく明らかで、緊張する方が馬鹿馬鹿しい。
反対に僕が「明日元アスリートでも元大工でもない80歳のおじいちゃんと100m走で勝負する」って時に、負ける可能性なんて考えません。順当に行けば若者が勝ちますから、これまた不安に思う必要はないわけです。
自分への期待は見えにくいけど意外とある
んでですね、
「新しく入る職場で」、
「教えて貰った通りに上手くやって」、
「下手打って同僚に冷たい目で見られないよう」、
「無難に役割をこなし続ける」。
これって「ウサイン・ボルトと100m走で勝負して勝利することより簡単か?」って自問自答してみると、「無理度10000%と無理度100%くらいの開きはあるけど、どっちにしろ無理だろう」って即座にわかっちゃうんですよねw
「自分がボルトに勝てるわけがない」あるいは「自分が80歳のおじいちゃんに負けるわけがない」と考えた時のように、人間わかりきったことに対しては不安も緊張も本来感じないですから、新しい職場に入る度に悶々とする必要は実は全くないんです。失敗したとしても、当たり前のことが当たり前に起きてるだけですからね。
死ぬにはいい日だ
実際には全く不安も緊張もない状態に持っていけなくても、
「未来にいる失敗した自分、それを恐れる今の自分」
の反対方向には必ず、
「未来にいる成功した自分、それを期待する今の自分」
がいるんです。
頭でそう理解しておけば、過度に落ち込んだり、過度に自信を持ったりせず、
「今回はこっちの自分に至ったんだな」と結果を素直に受け取められるようになりますよ!