他人が思うより自分は頑張ってる。

勝手にハードルを上げられても困る

今日はパラリンピックの開幕日なんですが、これに出場する選手って皆さんの目にどう映りますか?

ハンディに負けずに努力してきた人? 不撓不屈の精神の持ち主?

おおむねそんな感じの捉え方をする人が多いと思います。僕もそうですし。

ただ、僕は「とんでもないレアキャラ」というフィルターがかかるんですよね。ソシャゲで言えば「SSR」ぐらいの。

だって五体、あるいは五感の一部が欠けている状態なわけですよ?

並大抵の努力ではたどり着けない舞台であることは明白なわけです。

ですが、華々しい部分に目を引っ張られているせいで、その裏側にある「あるはずのものがない状態で人生の大半を過ごさなくてはならない」という事実に目を向けられる人はそれほどいないでしょう。

挫折そのものを許せない人がいる

プロフィール画像の通り、僕は左眼そのものがないので全く見えません。改善の余地もありません。

僕は死ぬまで左眼が見えないことによる影響から逃れられないわけですが、だからといってこれが不利にしか働かないということではありません。

左眼が見えないというユニークさを活かすことはできるでしょう。左眼が見えないからこそ見えるものがあるという考え方も大いに励ましになりました。

ただ、それは曲がりなりにも30年間何とか生きてきたからそう思えるようになったというだけで、これが人生の足かせにならないとは全く言えません。

それを選ぶかどうかはともかくとして、両眼が絶対に必要な職業も必ずありますからね。

にもかかわらず、僕は子供の頃から「頑張れば何とでもなる」「世の中にはもっと苦しい人達がいる」という言葉を色々な人から言われました。

「障害に負けない人」にしないと気が済まない

パラリンピックに限らず、障害を持った人が何か大きなことを成し遂げるのは極めて稀だと僕は考えています。

そういう稀な人を基準にして、何らかの障害を持った人全員に接しようとする人は意外に多く、その一方で彼らは自分を善意の支援者のように考えています。

障害を抱えた者の苦悩には目もくれず、その人が必死にあがいて得た成果だけを見て、一方的に評価していることに全く気付いていないにもかかわらず、です。

僕はこういう人を「アマエンナー」と心の中で呼んでいます。文字通り、他人の甘えを許さない人達ですね。

で、こういう人に出会って、ついでにコミュニケーションまでする羽目になったら、「あー、自分頑張ってるなー」とこれまた心の中で呟いています。

僕も含めて障害を抱えている人は縛りプレイをしているようなものです。

ファインプレーなんてめったにないわけで、ゲームオーバーにならなければ御の字です。

パラリンピックを見るときは、テレビから離れてスーパープレイを見るような心持ちで見てください。

スポンサーリンク
コメントの入力は終了しました。