「叩いて伸ばす」とかいう都市伝説。

「伸ばす」ことは「負荷をかけること」である

子供の頃、自分が138cmとか148cmの時に背を測る時、ちょっと背伸びとかしませんでしたか?

あるいはアスレチックで遊んでいたときに、あと少しで届きそうなロープや足場に手足を伸ばしたりしませんでしたか?

その時、手とか足はピーンと張ってますよね? この体勢を後10分続けろって言われたらキツイですよね?

でも、頭の中で「あと少し、あと少し」って気分になっちゃうと、ついやっちゃいますよね?

人間が自主的に何かを「伸ばす」のは、その何かに届きそうな時であり、

同時にその状態を長く維持することはできないのです。

また、明らかに届かない距離に関しては伸ばそうとも思わないはずなのです。

それを他人が無理に引っ張ったところで、痛いだけです。

肉体と精神はつながっている

上の例は肉体的な負担に関するもののように思えますが、精神だってそんなに構造は変わりません。

ずーっと緊張状態を維持できるように人間の神経は作られていません。ふと気が抜ける、抜かなければならない瞬間というのは必ずあります。

一瞬たりとも気を抜いていないというならば、それは体にダメージがいっているか、気付かないフリをしているだけです。

いずれにしろ、精神を「伸ばした」状態で上手く行っている生活は破綻へのカウントダウンが刻一刻と進んでいるということです。

それは「叩いたら伸びた」だけですって

褒めて育てる。叩いて伸ばす。

どちらもよく聞く言葉だと思うのですが、僕は後者に関していえば絶滅していい言葉だと断言できます。

人間の心身はパン生地じゃなければ、熱された鉄でもありません。

あえて比喩表現するのであれば、文字通り「36.5℃に温められた肉」です。

それだってある程度厚みがないと、肉叩きは使えません。

そもそも誰かを「叩く」のは基本的には「攻撃」なんですよ。

だから、基本的に叩かれた人間は次は叩かれないように「防御」をします。

防御というのは静的、つまり「固まっている」状態なんです。

この状態からでは、本人の意志で「伸びる」ことを選択しないと変化が起きません。

攻撃されない環境になったと確信するまで防御体勢を崩すことがなく、変化が極めて起きにくいんです。「伸ばす」どころじゃなくなっちゃうんです。

中には、攻撃されたことで「反撃」というアクションを取る人もいます。

でもこの「反撃」が攻撃した本人にいかず、無差別に周囲にぶつけられてしまうと、もはや収拾はつきません。

ストレスや悪意が伝染して、何が原因だったのかすら分からなくなってしまいます。

どこまでいっても「叩く」という行為は、リスクはいくらでもあるのに、リターンは叩かれた相手次第という割に合わない賭けに過ぎないのです。

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