あなたそれ、ダサいですよ
僕は色々なバイト先を渡り歩いてきたんですが、その中でも深夜スーパーのアルバイトは良くも悪くも印象的なことが多かったです。
深夜に活動するだけあって、独特なルールを持っているお客さんも多く、終電間際に店内に入ってきて、二時間くらいフロアを回って最終的に2~3個くらいしか買わないおじさんとか、買ったものを必ずビニール袋に一つずつつめるおばさんとか、思わず「そこまでする!?」みたいな顔になってる日も多かったです(顔には出てなかったと思いたい)。
ただ、そういう人はお店としては「単なるお客さん」で済むんですが、そうじゃない厄介なタイプの人も勿論いました。仮にAさんとしましょう。
あえて表現するなら「一見」さんならぬ「一員さん」…でしょうか。
その人は誰が頼んだわけでもいないのに、毎朝5時ごろ夜中の内にポイ捨てされたであろう店の周りのごみを拾ってるんです、何故か。
一応付け加えると、常に店員がいる24時間営業のお店でも、お店の中や外周部はクリーニング会社の人が派遣されてきて、見苦しくない程度に掃除してくれています。大体のお店では。
はっきり言ってしまえば、その人の行為は余計なお世話だったんです。お店としてはゴミの処理は織り込み済みだったわけですからね。
勿論そのAさんが好きでやってるだけならよかったんですが、ある日店内に入ってきて、店員である僕に向けてこうおっしゃったんですよ。
誰も僕にありがとうと言ってくれない!
はっきり言って、僕は呆れ顔だったと思います。「何言ってんだこいつ…」って声に出してしまいそうなくらい。
「僕は毎朝早起きしてこうしてごみを拾いながら、通りがかる人には挨拶もしてるのに、誰も返事してくれないばかりか、不審者を見るような目でこっちを見るんだ」と、怒鳴るでもなく、さりとて自嘲する風でもなく、Aさんは真顔でおっしゃるわけです。
ゴミ拾いというのは、地味ながら意義のあることではあると思います。誰かがそれをやった分だけ街がきれいになるわけですし。一度きれいになれば汚しにくいという心理的作用もありますから、全く無意味だとは思いません。
思いませんがしかし、感謝を求めてやることではありません。
きつい言い方をするなら、感謝を求めないからこそ評価される程度の行為であるとも考えられます。
何か得をするわけでもなく、誰に感謝されるでもない。それでも放ってはおけないから行動しようと考える人が自主的に行うからこそ、そういう行為を見る人にある種の敬意を抱かせるのであって、
「俺すごくね? 俺えらくね?」
みたいな心境がにじみ出ていたら、そりゃあ誰にも感謝されません。
ましてや、それをお店の運営とは無関係の下っ端店員に言われても、「作業の邪魔だから早くどっかいってくれないかな」以外に思うことはありません。
結局僕は「じゃ、頑張ってください」と強引に会話を打ち切り、その場を離れました。
その後、僕が職場を辞めるまでの間、Aさんと直接コミュケーションを取ることはありませんでした(人の好いことに定評のあった同僚が何度か絡まれたそうですが)。
ドヤ顔選手権はあちらでお願いします
Aさんに限らず、感謝を欲しがる人は今の時代かなり多いです。
フリーターを長くやっていると、色々な世代の人と会うことになりますが、50代以上になると会話=説教=相手の感謝みたいな人がボロボロ出てきます。
「こうしなきゃ駄目」「俺はこうした」「もっとテキパキと」みたいなことを相手の状況に目を向けることなく平気で言い放ちます。
んで、こちらが「はあ、そうですか」って感じの気のない返事をすると「お前のために言ってやったのに」「もっと何か気のきいた返事はないのか」みたいな顔をされます。
そういう態度がますます自分への感謝を遠のかせていることにも気付かない程、ある意味他人の気持ちに鈍感な人は確実に存在します。
そういう人は本質的に他人と自分の区別がついていません。
矛盾した言い方ですが、「他人と脳内会議している」ようなもので、他人が自分の思った通りに行動してくれないことに我慢ならないのです。
本来、自分の頭の中は自由にできるものですからね。自分にとっての理想の世界を思い浮かべるくらいは好きにさせて欲しいものです。
それができないのは相当なストレスだとは思いますし、自分と他人の分離を強く意識する経験が本人になかったのは不幸としかいいようがありません。
ただそれに無差別に人を巻き込むのは勘弁してくれよと嘆きたくはあります。
そういう人に出会ったら、一目散に離れるか、全力で「ダッサ! うわダッサ!!」と心の中で叫ぶことをオススメします。