子供がいる=一人には戻れない
戦後、日本には二回ベビーブームが訪れました。
当たり前ですが、子供は単なる流行で誕生させていい存在ではありません。
誰もが熟慮に熟慮を重ねるべきである、とまでは言いませんが、
子供を何故産むのかという問いに対して、夫婦が納得できる答えを述べられるまでは、
「産めばなんとかなるだろう」という安易な判断はしてはならないと僕は考えます。
何故なら、自分に連なる存在を一度でも誕生させてしまえば、その人は「個人」ではいられなくなるからです。
夫婦が子供を授かれば、ただの男とただの女にはもう戻れません。どこまで行っても、仮に子供がいなくなっても、子供を持とうとした男女であることからは逃げられません。
子供は可能性のカタマリです。あらゆる善行とあらゆる悪行を同時に成し得る原因になれる以上、それを誕生させた責任は常に付きまといます。
「好きなように生きて、好きなように死ぬ」ことはもはや許されないのです。
「我慢」ありきのやり方は限界に来ている
「子育ては我慢の連続だ」と言われても、大抵の人はあまり違和感がないはずです。
それくらい子供の行動は予測不可能であり、自分にとっていつも通りの意思疎通を試みても、上手くいかないことの方が多いでしょう。
生活範囲が狭く、それでいて機械に仕事を奪われていない時代はそれでも何とかなっていたのかもしれません。
仮に子育てが上手く行かず、社会に馴染めないまま成長した子供がいても、その子供が起こす問題は表面化しづらく、多少扱いづらくとも地域に受け皿は存在したわけですから。
しかし今は時代が違います。インフラ整備により交通の便は世界レベルで飛躍的に良くなり、インターネットの普及により情報は瞬時に得られるようになり、機械化によって人間の出番は大きく減りました。
そういう時代に生きていれば、人間の視野や価値観は日々上書きされるようになります。
隣の芝生どころか、向こう三軒両隣の芝生が青く見えている状態だといってもいいでしょう。
そんな時代に自分のいる環境から飛び出すなという方が無理なのです。そのために身軽さを求めるのは自然な流れであり、だからこそ少子化という解答が選択されたのです。
楽しめないと続かない
人間がやらなければならないことはどんどん減っています。
仕事も子育ても義務感だけではもはや続かない時代なのです。
これからは「やりたいこと」を真剣に探して、死ぬまでそれと添い遂げる。
そういう生き方を求められているのです。