頭の中には天使も悪魔もいない
漫画や創作なんかのフィクションで、キャラクターが葛藤している時に、頭の中で天使と悪魔がギャースカやってるシーンとか見たことありますか?
「そんなことをしてはいけません!」とか「やっちゃえやっちゃえ!」とか、概ね本能と理性のせめぎあいみたいな構図のアレです。最近は色々なパターンがあるので、古典的な表現になりつつあるのでしょうが。
ああいうシーンは、自分の心には複数の人格があって、時には対立する場合もあるってことを端的に示していると思うんです。ただ、ギャグとして描かれているのならともかく、心のあり方としては不自然だと感じるんですよね、あれは。
どこまでいっても心には自分の味方しかいない
僕は人間の意思決定には「感情と理性と本能」が関わっていて、その三者が会議して最終的な結論を導き出すものだと考えています。
で、基本的にこの三者は対立しないんですよ。本質的には。
正確に表現するなら、対立した状態では自分の意思が鈍って、最適なパフォーマンスが発揮できなくなるのです。
本来、会議の場において、参加者同士の「意見」が対立することはあっても、目的が一つに絞られているなら、そこに「人格」の対立は生じないはずです。目指す所は同じなんですから。
最も、実際の会議では、意見を交わしているだけで人間関係にヒビが入ることはありますが。そんな状態では結論を出した所でスムーズに動けないですよね?
何の準備もなく有意義な会議だけ行われるということはあり得ず、それはつまり上手く意見交換するためのノウハウが必要だということでもあるのでしょう。
だから自分が悩んでいる時というのは、感情と理性と本能がそういう「マズイ会議」をやってしまっているようなもので、これを解決したければ、そのノウハウとやらが身に付くほど経験を重ねるか、そうでなければ目的を思い出すしかない。
そして、脳内会議の目的というのは表現の仕方は人によりけりですが、
結局の所「自分にとって最も楽しいと感じられる選択をすること」なのです。
そこを忘れてしまうと延々と会議が続いてしまいます。
理性も本能も感情も、楽しくないのは満場一致で避けたいんですから。
「why」ではなく「how」を意識する
基本的に、本能は生存に関わる事態に遭遇しない限り意見を言いません。
突っ込んでくる車を反射的に咄嗟に避けたり、火事場の馬鹿力を発揮する場面では圧倒的な意思決定権を持つ本能ですが、そういう切羽詰った場面を除けば寝ているようなものです。
普段からあらゆる物事を生死に関わると認識している本能的に傭兵タイプの人でもない限り、人間の行動は概ね理性と感情で決めていくことになるでしょう。
理性と感情は本来支えあうものです。
理性は感情の望みを叶える助けになり、感情は理性という樹を成長させる栄養になり、やがて「知恵」という大樹になります。
理性と感情がお互いに相手をやり込めようと喧嘩ばかりしていると感じるなら、そこには必ず原因があります。それもおそらく自分の外部からの。
アタマとカラダは連動していますから、アタマの中で理性と感情が仲違いしていれば、
現実に動かすカラダの効率は下がる一方です。
日常生活で何か調子が出ないなー、とか何か疲れてるなーとか感じたら、
「何故」は考えるまでもありません。
外部からの刷り込みを受けて、余計なエネルギーをアタマの中で使わされているからです。
そこから抜け出すには「どのように」という方向に意識をシフトさせなければなりません。
とにもかくにも「楽しい」という感覚を取り戻しすのが先決ですので、自分にできる、しかしいつもの自分とは違う行動を、思い付く限り実行に移すことをオススメします。