ゲシュタルト崩壊に導いてくれよう
スーパーで特売品を探しながら売り場を歩いていると、生チョコとか生ラーメンとか生こんにゃくとか、とにかく「生」って付け足したような商品が多くなっているような気がします。
昔ながらの生醤油、なんて煽り文句も定番ですね。生春巻きも一時期やたら流行った覚えがあります。魚介類なんかあらゆる食材に「生!」ってつけてそう。
でもそういう「生」をウリにした食べ物って、気分に左右されておいしく感じることはあっても、体にいいとは限りませんよね? 豚肉とか生で食べたらお腹を壊すし、カキに当たる人はほぼ毎年出ているわけですから。
山・川・森林・海。自然界には生の食材がたくさんありますが、当然毒や寄生虫を持っているものも同じくらい存在しているはず。そもそも自然というのは人間にとって不便な要素を含むものですしね。
だから自然由来のものですー、って札を付けた所で必ずしもプラスに働くわけじゃないのに、色んなメーカーが「生○○」って名付けるのは「生」という語感の良さなんでしょうね。
腹に一物背に荷物
「生」って言葉には純粋とか天然とか加工前とかそんな意味が込められていると思うんですよ。そして日本人はそういう言葉に得てして惹かれてしまいます。「生現場」とか「生の声」とかいう表現、つい信じちゃったりしてません?
テレビCMや舞台挨拶で子役を採用している企業や団体なんかは子供の持つ無邪気さや素朴さ、そういったものをひっくるめた魅力を活用しようとしてるわけです。今話題のトランプさんの近くにいた息子のバロンくんもまさにそんな印象を受けますね。まあ、子供だからといって必ずしも天使みたいな内面を持ち合わせてるとは限らないんですけど…。
人間誰しも一目で物事の内面を推し量れるわけではありません。外面の良さだけで、その背後にある人格や価値観まで「良いもの」に見えてしまうことも往々にしてあります。
しかし、イメージという名の理想に頼った立ち振る舞いは、同時に中身の手抜き・ずさんさを匂わせることにもつながります。中にあんこが詰まっていないたい焼きに限って、外の出来はしっかりしてるものなんですよ…チクショウ!
生 き ね ば
純粋というのは偏ってることなんですよ。大抵0か100で表現されますからね。そこまで突き詰めてこそその他大勢より目立てるわけで。
そして偏ってるということはその他大勢に馴染めないということでもあります。違和感バリバリで周りに溶け込めない。陳列棚でも異彩を放つこと間違いなし。
でもそういう商品の方が熱狂的なリピーターが付くものです。捨てる神あれば拾う神ありと言いますしね。自分が偏っていると思う人はこの狭い道を究めて「生」きましょう!