心の悩みを抱えた人がやってはいけないこと。

それができれば苦労はしねェ!!!

人の心理に関わるブログや書籍を見ていると、

「人は一人では生きられない」
「今のあなたがあって当然とは考えない」
「あなたが今生きているのはたくさんの人達のおかげ」
「支えられていることに気付いていないだけ」
「知らない誰かがあなたを助けてくれることだってある」
「今日生きていられることがあなたの幸せ」
「他人に感謝することを忘れずに生きましょう」

こんな「スバラシイメッセージ」を目にする機会が多いです。

ひとつひとつはすごくいい文ですし、

これを心から実感していて自分で実践できたら、

毎日が楽しいとは思うんですが、

文章全体でこういう言葉が乱発されていると、

「あのぅ・・・ちょっとポジティブすぎやしませんか?」

というモヤっとしたものがあるんですよ。

名言は たった一人の 体験談

例えば

「なんで自分の頼みを聞いてくれないの!」

とか、

「なんで自分の思い通りにならないんだ!」

みたいな憤りを普段から抱えてる人って、

「他人や社会は自分の期待に応えるべき」

っていうちょっと図々しい信念があるわけです。

かくいう僕もそうだったので、今でもちょっとグサッときます。

実際には自分を取り巻く世界って自分の思い通りには動いてくれませんし、

どこにもそんなルールはないわけです。

なのに本人は心の底で、

「自分はスゴイ! から! こうなるハズ!」

っていつまでも信じているんですよ。根拠もないのに。

つまり

「人は一人で生きられる」
「今の自分があって当然」
「自分が今生きていられるのは自分の力」
「誰にも支えられてなんていない」
「誰の助けも私は必要としない」
「今日私が生きてることは当たり前」
「他人に感謝することなんか忘れて生きていい」

とまあこんな具合に、自分の価値を高く見積もりすぎて、

現実が理想に追いついていない状態なわけです。

だからいつも

「こんなはずじゃない!」

って否定すること、あるいは否定するための材料集めに

自分のエネルギーを使っちゃう。

そんな生き方、辛いですよね?

だから最初の「スバラシイメッセージ」は

こういう風に考えたほうが人生楽しいよ、

という前向きなアドバイスでもあります。

ただどうしても、

「その文章を誰が読むのか」

という視点が置き去りにされている気がしてしまうんですよねぇ・・・。

前提を間違えない

そもそも「フツー」に育った人は、自分の心の有り様について過度に悩んだりしません。

心を解きほぐす機会が多く、問題にぶつかっても柔軟に受け止められるからです。

といって「自分はエライ!」って頑なに信じている人が、

ちょっといい話を聞かされたぐらいじゃ馬の耳に念仏なわけでしょう。

多かれ少なかれ、人の心理に関わる文章を読んでくれる「悩める人」は

「なんとかしたいのになんとかできない人」

であり、

「自分がただの人であることを知っている人」

であり、

「自分を変えたくないくらい自分が好きな人」

なんですよ。僕もそうですからね!

そういう人が絶対にやってはならないのは

「悩みをなくそうとすること」

もっと言えば

「悩みがなくなると信じ込むこと」

なんですよ。

悩みっていうのは「出口のない迷路」というより、

どちらの出口から外に行くか決めている最中と言っていいでしょう。

出口を目の前に足踏みしてるだけなのに、

どこにも出られず閉じ込められているように感じたり、

いざ片方の出口を選んでみても、

選ばなかったもう一方の出口を気になって歩みが鈍くなる。

しかしどういう選択をしたとしても、

それ以降全く悩みがなくなるということはないんです。

悩んでいるのが自分自身である以上、

悩みをなくすというのは自分をなくすのと同じです。

で、自分を好きな人は自分を失わせる選択だけは絶対にしない、

というよりしたくてもできません。

だから悩むのなら

「行動をどう変えるか」、

あるいは

「環境をどう変えるか」、

この二つに絞った方がいいでしょう。

変えられるものはどんどん変えていけば、

同時に「変わらない自分」に気付くはずです。

その自分を基点に動かないと、

迷走するばかりの生活になってしまいます。

いつも言わなかったことを言う、いつもやらなかったことをやる。

いつも行かなかった所に行く、いつも動かない時間に動く。

何でも構わないので、変化をつけるように生活を形作っていきましょう。

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