摩訶不思議アドベンチャー
つい先日母親と会話していた時こんなことを言っていました。
「退職してから知らない所に一人で出かけるのが楽しくなった」と。
母は職業柄色々な都道府県に行っていましたから、知らない場所に出向くことなんて飽きるほど経験してきたはずなんです。
それにもかかわらず、還暦を過ぎた今になってそれが楽しくなってきたとはどういうことなのか。それは母にとって、そしておそらく戦後半世紀を駆け抜けた人達は「冒険」に飢えていたからではないかと僕は考えているんです。
昨日も明日もこんな日なんだ
戦後の日本は、後に公害問題になるほど工場労働が盛ん・・・というより、労働そのものが盛んな時代だったように思えます。休む暇があったら手を動かす、というイメージですね。
実際にその時代に生きた人間でない僕には想像することしか出来ませんが、あえて言うなら「開墾」の時代だったのではないでしょうか。
自衛隊の設立、カラーテレビの登場、東京オリンピックの開催、石油ショックによる経済変動、男女雇用機会均等法の施行、バブルの到来と崩壊。
劇的な出来事も数多くありましたが、一方で「一人一人が自分の育った場所を離れずに生きていくことが出来る」時代でもあったと思うのです。
交通機関が日進月歩で発達していったとはいえ、「上京」という単語の持つイメージに違わず、自分の知らない地域に向かう心理的抵抗というのは並々ならぬものがあったはず。
誤解を恐れず言えば、知らない世界に飛び込む経験をほとんどせずに老境を迎えた人も数多く存在しているのではないかと僕は考えています。
退屈は人を殺す
狭い世界に居続けると、どんな場所に行ってもどんな趣味を持っても、「狭い世界の退屈さ」に覆われる・・・平たく言えばワクワクしなくなってしまう気がするんですよね。
どんなに目新しい建物や人々がいる場所に出向いていたとしても、仕事の延長としてそういう状況に出くわしたら「自宅と職場を往復する毎日」という概念が刺激を吸い取ってしまいます。本心では冒険を望んでる人にとってそんな毎日が面白いはずがありません。
ですから、いざ定年を迎えてふらふら~っっと出かけるのが楽しい、っていう年配の人は自分の走りぬけた時代にはできなかった「小さな冒険」を味わっているんだと思います。
僕らは人生そのものが冒険になりそうな過渡期に生きることになりそうですが、冒険心というものはあらゆる世代の人が持つ共通の感覚なのかもしれませんね。