トロフィーという承認を欲しがるゲーマーは一生渇いたまま。

ゲームは1日(最低)1時間

プロフィールの通り、僕にはニート時代ゲームばっかやってました。まあゲームは今もやってるんですが。というか死ぬまでやってる気がします。

んで、その頃から地味に気になっていたのがゲームの「トロフィー機能」です。

ちょっとググってみると、トロフィーを取りやすいゲームランキングなんてものもあるくらいトロフィーを重視している人達はいるみたいなんですよね。メーカー側がキャンペーンで賞金(といっても少額ですが)を出すパターンもありますが、大抵はゲーム内でトロフィーを取得することに直接の見返りはほとんどありません。

要は小学生の時に、ラジオ体操に来たら貰えるスタンプやノート(地域によってかなり差があるでしょうが)と同じようなもので、貰えるとちょっと嬉しい程度の代物なんですが、こういうトロフィー機能にハマッてしまう人はさっさとゲームを辞めた方がいいでしょう。それくらいトロフィーってのは罪なヤツです。

トロフィーの向こう側に見えるもの

ゲームってのは基本的に生産性がありません。有名なゲームタイトルの大会で優勝するくらい凄腕だったり、スポンサーが付くような華のあるプレイヤーは例外ですが、自分が楽しいからやってるって人がほとんどのはず。

当然ゲームをプレイすることで取得するトロフィーだってゲームと同じ性質を持っています。つまりトロフィー自体には大した意味はなく、その意味付けはゲームをプレイして楽しんだ当人だけが行うものです。

しかし、トロフィーというものは「あなたはこういうことが出来た人」っていう外部からの承認なんです。ノーベル賞や国民栄誉賞、アカデミー賞だって元を辿れば自分以外の誰かが意味付けをしたから栄誉・名誉とされているわけですからね。

トロフィーのみならず、賞状やメダルといった類の物は「誰かの気持ちを形にしたもの」であって、それはつまり「他人がいなければ成立しないもの」でもあります。そんなものを求める人が本当は何を望んでいるのかなんて明らかですよね?

お前が欲しい

口ではどう言い繕っていたとしても、トロフィーなんかを欲しがる人は他人と触れ合いたいんです。本当に自分がやりたいだけ、というなら他者に自分の成し遂げたことを証明する必要なんてありませんからね。

自己満足のために外部の承認を必要とすることは社会性の発露であり、それ自体は自然なことですが、その欲求は残念ながら自分だけで完結させることはできません。たった一人の両手に納まるコントローラーをいじっていても他人とつながってる実感は得られないんですよ。

一度欲求の火が点けば、それに沿った解消法につなげないと、やがてその火は心の潤いを蒸発させ、常に本人を渇いた状態にしてしまいます。世界を操作する巨大なコントローラーの上に飛び出して、多くの人と一緒に操作しなければ渇きは癒されないのです。

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