生きづらい人は世界設定を見直す。

プロローグが時代劇

僕は昔から世の中って生きづらいよなーと感じて生きてきました。

かの夏目漱石も「兎角にこの世は住みにくい」って言ってるくらいですからね。

人の世ってのは、中々ままならないものなんでしょう。

でも人間は、自分で自分を息苦しく、いや「生き苦しく」している部分もあるんですよ。

クライマックスが推理モノ

例えばドラゴンボールで、もし孫悟空が子供のままナメック星に行ったとしたら、お話が作りづらくなる気がしません? べジータに勝てるかどうかも怪しいですし。

まあそんな展開のドラゴンボールがあったらそれはそれで読んでみたいですけど!

ともかく、物語をスムーズに進めるためにはそれにあった世界設定が必要・・・というより、

「物語だから世界に関する設定ができちゃう」んですよね。

その一方で、現実の人生にはテレビのリモコンみたいに設定ボタンはありません。

「本当はこんな風に物語を進めるはずだったのに」なんてギャップに苦しめられても、

軌道修正が出来るとは限らないわけです。

人によっては、人生設計なんていう計画ぐらいは持ってるかもしれないですけど、それに従って常に予定通りかつ思い通りに生活できる人なんて滅多にいないでしょ、普通に考えて。

先天性の疾患もなく、五体満足でこの世に生を受け、幼少時は両親に愛され健やかに育ち、

学校に通い始めたら、友達と時に笑い、時にケンカして、時に涙し、時に恋をして、

社会に出れば、先輩に付き従い、謙虚に会社に勤め、やがて婚約者が出来、子宝に恵まれる。

誰もがこんな人生を歩めるわけじゃないのは、今の時代に生きる人ならご存知のはず。

あるいはそんな地点を通り過ぎて、諦観の域に達している人も・・・それどころか、中高年の二人に一人くらいは自分の人生を「どうでもいいもの」として捉えているのかも。

エピローグがSFとか無理

もし自分の人生を大切に思えないのなら、世界設定を短くするのが生きやすくなるコツです。

「これは一人の人間が生きるだけ生きる物語である」。

これくらいシンプルなら、お話自体はスムーズに進むはずです。

少なくとも縛りが減って、登場人物である自分の動きに広がりは出やすくなっているはず。

まあ面白い話になるかどうかはちょっと保証しかねますが…物語が進むうちに意外性を発揮できるかもしれませんし、過労死エンドやうつ病エンドよりはよっぽどマシです。

閉塞感や絶望感に囚われている時は、自分を取り巻く環境に肉付けをしすぎて、

自分や世界に期待を持ちすぎていないか、見直してみることをオススメします。

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